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  夜啼(やてい)
   

ミカエルはカタリナの涙の原因を推し量っても、所詮それは自分自身にとって都合の良い理由しか思いつかなかった。どうすれば良かったのだ。あれの気持ちが全く分からない。複雑な女心を理解できないままミカエルは考えるのを止めて眠ろうとしたが、隣から聞こえる嗚咽を無視できずに寝入れなかった。
部下の疲弊は今後の政にも影響が出る。訳を訊いてもあの女騎士は絶対に話さないことは知っていたが、ミカエルは声をかけた。


「どうした、何故泣いている」
カタリナの泣き声が一瞬ひそまった。
「怖い夢でも見ていたのか」
ミカエルは自身の幼稚な切り出し方に鼻で小さく笑い、言葉を繋げた。
「私も夢を見ていた。―そうして悲しむお前を、…元気付けていた」
あの時の言葉は―!カタリナははっと口を押さえ、自分の浅薄さを恥じた。勿論ミカエルの嘘ではあったが、カタリナにとって彼の言うことは絶対。疑うことなどしなかった。だが、その言葉は彼の全くの思い付きから出た言葉でもなかった。時々彼女は夢の切れ端を思い出すようにミカエルを恐怖で引きつった顔で見る。マスカレイドが奪われる以前には決してなかった反応だった。カタリナは悪夢を見続けている。それだけはミカエルも確信していた。
「怯えなくともよい」
隣のベッドから人が起き上がり布の擦れ合う音がカタリナの耳に聞こえた。くぐもった柔らかい音から靴を履いたであろう、硬質な音へと変わる。


「どんなに恐ろしい夢も―」
かすかな足音が少しずつカタリナの背中に迫ってくる。一歩一歩確実に足音は大きくなっていった。それと共にカタリナの胸は切なく締め付けられてゆく。
「お前に直接危害を加える力はないのだ」
近づく音が止まり、ミカエルの穏やかな声が真上から降り注いだ。カタリナは恥ずかしさや恐れ、緊張といったものがない交ぜになって振り向くことが出来なかったが、彼の人が発している全ての音に耳をそばだてずにはいられなかった。彼女は緊張で乱れそうになる呼吸を整え、自分の動揺を悟られないように控えめに息をした。
「よいか、カタリナ」
何も答えない彼女に対して促すようにミカエルは自分の主張に同意を求める。彼の人の声が一段と近くに聴こえ、カタリナの息は一瞬、止まった。彼の長い髪が滑り落ち、自身の白い首筋に掛かった。そうしてベッドが少し沈むのを感じた。想い人が身をかがめ自分の寝床に手をかけたからだった。
「はっ…!」
ミカエルの呼びかけにカタリナは反射的に短く返答した。恐怖で張り詰めた声だった。


女としてではなく、騎士としての声色にミカエルは少し失望した。

お前を傷つけはしない―
そう呟くと男はカタリナの耳元から頭を上げて、気を鎮めるように意図的にゆっくり息を抜いていった。彼は悟った。カタリナの反応を見れば一目瞭然だった。いくらカタリナをを救おうとしても、彼女を苦しめる悪夢の一端を自分が担ってるらしいのだ。その背反にミカエルは思い煩った。できる事など、なかった。
ロアーヌ侯は部下の床から静かにその手を離した。


カタリナは胸の甘い疼きを持て余しながらもそれでも引き止めることが出来ず
シーツの中で身体を丸め、自分自身を呪った。


「ならば、早く休め。体調を万全に整えるのも務めのうちだ」
そしてミカエルはいつも通り君主としてのポーズを執り、自分のベッドに戻った。
 
 
引っ張っておいてこんなオチですいません