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  cut off the chain of misfortune!
   


ようやく今日の執務に一区切りついたミカエルはカタリナを求め自室へと赴いた。
最近は夫婦共に昼は公務、夜は社交界での忙殺された日々を送っていた。二人の日程が合わずに全く顔を合せない日も多々あった。だからこそ、何も予定のない今夜こそはゆっくり彼女と会いたいと思っていた。


まだ、そんなに遅い時間ではなかったが、部屋の明かりは消えていた。
結婚して数年経っても新婚の初々しさを持ってる恋女房が 優しく迎えてくれることを淡く期待していたので、幾分肩透かしを食らった気になった。もう寝てしまったのだろうかと照れ隠しのように独りごちると部屋の奥にある寝室に向かった。
カタリナは窓際に立ち、外の景色を見ているようだった。
下弦の月を背負う彼女は穏やかな月の光に照らされ、彼女の陶器のような白く、きめ細かな肌を病的なほど美しく輝かせていた。もの音に感ずいて彼女は振り向いた。
「ミカエル様…!」
音の主が夫のものだと分かると心底嬉しそうな笑顔を見せた。銀色の髪は光の加減で青みがかり、きらきらと揺れながら艶やかにまたたいた。しかし、どことなく覇気がないように見えるのは熱のない月光に照らされている所為だけではなかった。
彼女は最近気分が塞ぎがちだった。


「お前はもう、家臣ではないのだ。せめて二人きりの時ぐらいミカエルと呼んでくれないか。」
そういって大げさに笑うと、彼女は恥ずかしそうに口の中でもごもごつぶやいた。
「まだ私を一人の男にさせてくれないのか。」
そのいじらしい仕草に目を細めながら、まごつく彼女を激務の疲れなど見せないぐらい軽々と抱きかかえた。そうしてベッドまで連れて行き、壊れ物を扱うかのようにそこに横たわらせた。
枕もとを照らす火が揺らめく。
「あと、二・三週間すればまとまった休みがとれそうだ。どこか…そうだ、ピドナへ出かけよう。何が欲しい?お前の好きなものを買ってやる。」
ミカエルは優しくカタリナに覆いかぶさった。そして口づけようとしたその時、思い直したかのようにぴたりと動きを止めた。カタリナが何か言いたげだった。
どうした、何がほしいんだと優しく語り掛けると、思ってもみない悲痛な答えが返ってきた。
「側室を…どうか娶ってください。私は、…」
その言葉に逆上してミカエルはとっさに口走った。直後、取り乱して言い返した自分を恥じた。
二人は子宝に恵まれてなかった。それはカタリナにこんな事を言わせるまでに重圧になっていた。

「お前だけの所為ではない」
ミカエルはすまなかったと謝ると共に自分に言い聞かせるようにそうに呟いた。


―いつも周りの陰口を聞いているのだろう。あれが限界に達するまで追い詰められていたのに守りきってやれなかった。


優しく慰めながらミカエルは今までの出来事を省みた。

側室を設ける事を進言する大臣や、自分の娘を妾にしようと目論む貴族達に辟易しながらミカエルはこれをことごとく断った。そもそも自分が妾出のせいで苦労をしたのに、どうして自分の子供にまで同じ思いをさせねばならないのだ。幼い頃から政権争いに巻き込まれ、今も悩まされる境遇に彼は心底うんざりしていた。

子供時代から何度も命を狙われてきたロアーヌ侯は、諸侯らが自分の利益獲得の為に、策略を巡らせ―二人の間に出来た子供を襲撃、暗殺してまで―妾を迎えさせようとするのではないかと疑心暗鬼に陥っていた。
その気がかりが彼を消極的にさせ、侯妃の懐胎を阻んでいる要因の一つになっていた。

「私はカタリナ以外の子供なら欲しくない。」
声を押し殺し、泣いているカタリナの涙を拭った。
前ロアーヌ侯の第一夫人のように目の前の妻をさせたくなかった。
「でも、もしこのまま…」
「それなら、モニカの子供を養子にすれば良いのだ。」
励まそうとして言ったがすぐに口をつぐみ後悔した。カタリナが決定的に落ち込んだのは、先日発表されたモニカ懐妊の知らせからだったのだ。一緒にいてもお前を傷つけるだけだ。そう言ってミカエルは離れようとした。
「行かないで。」
カタリナはアメジスト色をしたひたむきな目で一心に見つめた。その強い眼差しに気おされ、動きを止めた。

―私はもう一人ではないのだ。カタリナがいる。臆せずに不幸の連鎖を断ち切らねば。


ミカエルは再びカタリナと向き合うとふっと息を吹いて明かりを消し、二人は闇に溶けていった。